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読者プレゼント

応募締切:令和7年12月20日(土)まで

この連載の2回ほど前に保谷から田無まで歩いたけれど、今回はその続編的なコースだ。田無の駅の北口から青梅街道に出て、3、400メートルくらい西進すると「上宿」という宿場時代の面影を残すバス停がある。その少し先、郵便ポストと赤い「くすり」の看板を出した薬局が立つ角のところから右斜めに進んでいく道は久米川街道と名づけられている。入ってすぐの路傍に素朴な石板型の地蔵が置かれ、郊外の古道風情を醸し出している。
新しい住宅地の先に木立に囲まれた昔風の家があって、林の先に電波塔が垣間見えた。スカイタワー西東京—通称・田無タワーと呼ばれる高さ200メートル近くあるこの塔は、中央線の三鷹や武蔵境あたりの車窓からもよく見える。僕は以前取材で125メートルほどのところにある展望台(と言ってもただ鉄板張りした業務用のフロアー)まで上らせてもらったことがあったが、主に携帯電話やタクシー無線のための高塔だと聞いた。

上宿のバス停

上宿のバス停

石板型の地蔵

石板型の地蔵

スカイタワー西東京

スカイタワー西東京

屋敷林に囲まれた家の先で広い新青梅街道を横断、これまでと同じような角度で斜めに入っていく、進入禁止の交通標示の出た道が久米川街道だ。500メートルほど先で、西東京市から東久留米市に入るあたりから沿道は高いケヤキの木が続く、往年の武蔵野を思わせる景観となる。「柳新田通り」という道路表示板が掲げられているが、いま「南町」という町名のこのあたりは手元にある昭和33年(1958)の地図には「柳窪新田」という集落名が記されているから、柳新田はそれを略したものかもしれない。ちなみに柳窪新田というのは、これから向かう東久留米市西端の柳窪の人たちが開拓した新田地らしい。
そういう古い集落らしく、路端のケヤキの向こうに並ぶのは、イチイなどの垣根をめぐらした立派な農屋敷ばかりで、所々に無人販売機を置いた庭や畑が見える。老木になったせいか、近年の激しい気象のせいもあるのか、幹の途中で切られた樹木も目につくが、そういえば10年ほど前にこの辺を歩いたときは、もっと鬱蒼としたケヤキ並木だった気がする。

新青梅街道

新青梅街道

柳新田通り

柳新田通り

ケヤキ並木が続く沿道

ケヤキ並木が続く沿道

田無タワーもぐっと近づいて、すぐ南方に聳(そび)えたっているが、武蔵野の古農家の母屋や蔵と鉄塔とのコントラストがおもしろい。
この交番の先から道は湾曲して、吉原大門(おおもん)の表示板のある土手通りの交差点に差しかかる。土手――とは、三ノ輪の方から流れてくる通称・山谷堀の土手が道端に築かれていたからで、もう少し下流は昭和40年代頃までドブ川が残されていた。
西進していくと、荒れた雑木林の隣に大きなパチスロ店のビルが立っている。3、4階建ての上の方まで駐車場になっているから、かなり遠方からも客がやってくるのかもしれない。
小金井街道との交差点を越えると滝山中央通り。〈まえさわ小町〉というシャレた看板を掲げた商店街となる。農屋敷地帯のあたりとくらべて高さは低くなったものの、街路樹は相変わらずケヤキ。このケヤキ並木はその先の滝山団地の領域まで続いている。

古農家と鉄塔

古農家と鉄塔

まえさわ小町

まえさわ小町

滝山団地は日本住宅公団(現在のUR)が1960年代の終わりに建設した団地だ。歩いてくるとき、南町あたりの農地の北方に高層改築された「ひばりが丘団地」の一角が見えたが、もとは4階建てが中心だったひばりが丘の時代より10年後の滝山団地は5階建てで、レトロっぽい公団団地のなかでは新しい。また、ひばりが丘の敷地の前身が、ゼロ戦のエンジンなどを製造していた中島航空金属の工場や試験場だったのに対して、こちら滝山団地が開発される以前は広大な畑地や雑木林だったという。
横壁に、6-1-9などと番号を打った公団らしい棟が道の両側にずらりと並んでいる。戸数にして3,000戸余りだという。ひと頃よく見ていた「団地のふたり」(小泉今日子・小林聡美)というドラマはここでロケしていたと聞くが、ドラマで描かれていた昭和っぽい場所ばかりでなく、団地を歩いていると、「ダイニングカフェ滝山」なんていうリニューアルされたスポットもあったりする。

滝山団地

団地商店街の横道の町中華で昼食をとってから、滝山団地西の交差点を左折、すぐに斜め右へ延びる道を進んでいく。この道は先の昭和33年(1958)の地図にも記されている古道で、曲折しながら東村山(久米川)の方まで続いているから、久米川街道の本筋と見ていいかもしれない。そのうち、前方に深い森が迫ってきて、柳窪(4丁目)の旧集落に差しかかる。
村野家という江戸時代から続く名主の大屋敷があり、その屋敷林と続く鎮守の森のなかに柳窪天神社、隣接して長福寺という寺社がひっそりとある。この地域の名産物だった柳久保小麦についての由緒書きの出た境内の隅を黒目川という小川(取材時は枯れていた)が流れ、川づたいの小路を南進すると、車が行き交う新青梅街道に行きあたる。向こう側に広がる小平霊園の一角に見える小山の奥(さいかち窪)に黒目川の水源があるらしい。

滝山中央通り

滝山中央通り

柳窪天神社

柳窪天神社

長福寺

長福寺

川づたいの小路

川づたいの小路

泉麻人 いずみ・あさと

1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表。著書に『大東京23区散歩』、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』、短編集『夏の迷い子』など多数。東京新聞ウェブ連載の路線バス旅エッセイの第2弾『続・大東京のらりくらりバス遊覧』、初期のコラム集『泉麻人 黄金の1980年代コラム』(三賢社) 、『銀ぶら百年』(文藝春秋)など多数。 2023年秋に平凡社より『昭和50年代東京日記ーcity boysの時代』を刊行。

このページのアーカイブ

NO.82

ケヤキの古道と昭和団地の景色

NO.81

蔦重の遊郭地から源内の墓所へ

NO.80

西東京の古道を保谷から田無へ

NO.78

葛飾・江戸川の古代東海道 「立石様」の横を通って

NO.77

上板橋から下練馬宿へ郊外の宿場町を歩く 旧川越街道

NO.76

世田谷線沿いの古道とテオドラさんの洋館 上町、豪徳寺、菅原天神通り

NO.75

東海道の丘上の昭和遺産 三田聖ひじり坂・二本榎通り

NO.74

上高井戸のロケ弁看板から仙川のキューピーへ旧甲州街道

NO.73

根岸御行の松通りおせんべいと松と唐破風の銭湯

NO.72

柴崎から深大寺へいく 丘下の田園古道

NO.71

京浜の下町 六郷の七辻と水門へ

NO.70

種子屋街道と昭和の銭湯

NO.69

熊野前、尾久銀座通り渡船場に続いていた古道

NO.68

麻布四之橋通りetc. 白金と麻布の歴史ある坂の道

NO.67

トキワ荘通り商店街の先のケヤキ屋敷