川越街道は、中山道の板橋宿から分岐して川越へ向かうルートがもとらしいけれど、いまは池袋東口の通称六ツ又ロータリー(春日通りや明治通りが交差する)が東の起点らしい。そして、板橋の大山のあたりからは現在の街道の脇に所々旧道の区間が残っている。今回は、2キロあまり旧道歩きが楽しめる、上板橋から下赤塚の手前あたりまでの区間を散策しよう。
東武東上線の上板橋で電車を降りて〈上板南口銀座〉のアーチ看板の出た商店街を進むと、やがて目的の旧川越街道と交差する。しかし、まずはここを突っ切ってその先の現街道まで出ると、広い通りのセンターラインに5本のケヤキが並んでいる。横断歩道傍らの一角に石碑が立っているが、裏側に刻まれた由緒書きによれば、昭和14年(1939)の新道敷設前まで存在した農家に植っていたものを保存したらしい。
川越街道と旧川越街道の分岐点
五本けやき
そんな、いまの川越街道の名所を眺めてから、ちょっと池袋寄りの分岐点から旧道の方へ入っていく。段差歩道のない裏道らしい通りだが、まず目を引くのは道路建設工事現場の右奥に見える“ハーフティンバー様式”を思わせる洋館。かなり年季の感じられるこの建物は医院で、裏方に昔の病室らしき木造棟が続いている。すぐ横まで新道の工事が進んでいるが、保存されるのだろうか……通りすがりの散歩人とはいえ、行く末が気にかかる。
歴史を感じさせる医院の建物がある、というのも旧街道らしい。銭湯、子育て地蔵などを横目に進むと、そのうち練馬区との区境に差しかかるが、そのあたりから先が江戸時代からの下練馬宿の領域。左側に、黒瓦屋根の古めかしい米屋さんがある。
ガシっとした扉もないので、店の軒先から奥へ「ごめんください」と呼びかけると、やさしそうな御主人がひょこひょこと現われた。
「野瀬商店」というこの店は、明治の初めくらいに染物屋として始まって、乾物屋、米屋と業態を変えてきた。染物、とは当初ピンとこなかったが、裏方に石神井川支流の田柄川(たがらがわ)が流れていた……と聞いて納得した。
「この建物の本体は大正2年(1913)の築らしいんだけど、ほら、あそこのマツの梁(はり)なんかなかなかのもんでしょ?」
御主人が指をさす薄暗い天井の方を見上げると、確かに田舎の豪農家で見るような太い、年季物の梁が入っている。
ハーフティンバー様式を思わせる洋館
旧川越街道
お話を伺った野瀬商店の御主人
古い商店はここ数年でばたばたと消えてしまった……と、御主人から伺ったが、裏方に蔵が垣間見える元商店風の家がぽつぽつ見受けられる。寂れた感じの通りは環八の架橋を過ぎると、ぐっとにぎわいを増す。右に富士塚のある浅間神社を見て、少し先の左手には〈北町アーケード〉という昔のパチンコ屋調のネオン看板を掲げたL字型のマーケットの入り口がある。昔は肉屋や魚屋なんかが軒を並べていたのだろうが、いまは大方がスナック。この斜向かいあたりには、新宿のゴールデン街を一筋だけ持ってきたような飲み屋横丁がある(スマホのマップには北町楽天地と表示されるが、看板はない)。
そのすぐ先、東武練馬駅の方へ入っていく横道との分岐点に、庚申塔や仁王像、観音堂などを並べた下練馬宿の中心地のようなスペースがある。練馬というと、いまは西武池袋線の練馬駅周辺を思い浮かべるだろうが、こちら東武練馬の下練馬宿の方が町の成り立ちは早かったのだ。傍らに立つレトロな喫茶店(テーブルの半数ほどが使い込まれたゲーム卓というのがすごい)でランチを腹に入れてから、もう少し先へ進もう。
下練馬の大山道道標
北町アーケード
東武練馬駅の方へ入っていく横道との分岐点
右側の本陣跡の小公園に「下練馬献上大根碑」という練馬大根の金ピカのオブジェがあり、 そのちょっと先には「東京トロフィー」、さらに先に「練馬金網製作所」という古看板を掲げた町工場(閉業の雰囲気だが)がある。東武練馬の北口に「大木伸銅」という昭和初めからの伸銅製造会社があるから、この辺なんとなく金属づいているな……と思っていたら、「まめやの鯛焼き」という看板が目にとまった。町工場風の2階屋の一角でタイヤキを販売している。そうか、ここももしやタイヤキの金型(かながた)の関連か……金属産業との由縁を想像したが、「まめや」の冠のとおり、昭和初めに創業した煮豆屋さんが母体らしい(休業日で味わえなかったのが残念)。
宿場の領域を過ぎて、もう店屋はほとんど見られなくなった街道はやがて新大宮バイパスの上を渡って、極真カラテのジムの入ったビルの先で広い川越街道に合流する。向こう側に豊島園通りの入り口が見えるから、昔はここで練馬(上練馬)の方へ行く道と分かれていたのだろう。
練馬大根の金ピカのオブジェ
東京トロフィー
練馬金網製作所の古看板
まめやの鯛焼き
泉麻人 いずみ・あさと
1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表。著書に『大東京23区散歩』、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』、短編集『夏の迷い子』など多数。東京新聞ウェブ連載の路線バス旅エッセイの第2弾『続・大東京のらりくらりバス遊覧』、初期のコラム集『泉麻人 黄金の1980年代コラム』(三賢社) 、『銀ぶら百年』(文藝春秋)など多数。 2023年秋に平凡社より『昭和50年代東京日記ーcity boysの時代』を刊行。