下町の散歩というと、台東、墨田、江東、といった東部の方を思い浮かべがちだけれど、南西の品川、大田方面にも下町らしい、いい感じの商店街がある。今回歩くのは、蒲田の羽田寄りを通っている日の出通りと水門通り。京浜急行空港線の糀谷(こうじや)からアプローチすることにしよう。
何年か前に高架線になってから、この辺りの雰囲気も随分変わった。そんなことも関係したのか、糀谷の駅を出て、しばらく歩いたところで、うっかり逆方向に進んできてしまったことに気づいた。観音湯という銭湯があり、その向こうに三徳稲荷神社というのが建っている。神社の脇の踏切を渡って環八を西進、糀谷駅の南口までもどってきた。
観音湯
三徳稲荷神社
南北に続く糀谷商店街というのが糀谷のメインストリートなのだが、今回はそちらには進まず、環八の1本裏の道を蒲田の方へ少し歩いて、八百屋さんの角から日の出通りに入った。「日の出銀座商店街」と記した看板が道端にぽつぽつと掲げられているが、商店をやめて一般民家化してしまったような建物が目につく。興味をそそられる古い喫茶店も目に入ったが、もう営業はしていないようだった。
ちょっとにぎわってきたような一角に、「七辻」と呼ばれる名物交差点がある。その名のとおり、七本の道が合流する珍しい辻で、最近はわざわざ訪れる人も増えたのか、糀谷の駅前にも「七辻 Nanatsuji 800m」の表示板が出ていた。
名物交差点「七辻」
6Pチーズならぬ7Pチーズ様の角っこの店舗をメモしたところ、城南指圧治療院、恵比寿鮨、クリーニング店、生餃子販売所、「ひらばやし」という八百屋、アパート、「切手・印紙」の看板が残る元タバコ屋と思しき家、といった物件。路端に出た由来書きによれば、大正6年(1917)から10年間の耕地整理で生じたものらしく、確かにその時代の地図をチェックすると周囲は一角に神社を置いて田畑が広がっている。1つ先の通りに「七辻通り」という京急バスの停留所があるけれど、僕がこのスポットを知った発端はこのバス停だった。
停留所「七辻通り」
「七辻」から300メートルほどいくと、雑色(ぞうしき)駅の方からくる水門通りとの交差点に差しかかる。水門とは、南方の多摩川の岸に設けられた六郷水門のことだ。そちらの方に曲がって、ちょっと横に入ったところに「大枡(だいます)」という中華料理店がある。いかにも“町中華”という風情の佇まい、料理メニューをネットで見て気に入って、開店時間11時半を目安に歩いてきたら、案の定店内はすぐに満席になって、外にも列ができている。
「店主の手が腱鞘炎のため、しばらくの間、チャーハンとヤキソバの大盛はお受けできません」と、ちょっとユーモア含みの張り紙が玄関戸に出ていたが、まあそれほど大盛況ということなのだろう。僕らはカメラマン、編集者含めて4人編成だったが、普通盛りのチャーハンとギョウザ(2枚)を堪能した。パラパラ食感とほどよいショウ油風味のチャーハン、甘味のあるキャベツが効いた焼きギョウザ、どちらも格別だった。
水門通りにもどって、さらに300メートルくらい歩くと、横断するバス通りの先で公園に突きあたってこの道は終わる。公園の中央は水路になっているが、その向こうの多摩川の取水口に水門が設備されている。公園の脇から多摩川の堤に上っていくと、年季の感じられる石柱の間に水色のゲート板が取り付けられた六郷水門の全貌がよく見える。〈昭和六年三月成〉という、右先読みのプレートが石柱に嵌め込まれていたが、もう90年以上の歴史を持つということなのだ。
堤下の公園の水路は、かつての六郷用水の名残りでもあり、いまも小さなボートが2、3艘停まっている。近くの釣船屋のものらしいが、水門は通常開いているから、ここから多摩川や東京湾に出航していくのだろう。この辺りはテナガエビがよく採れるらしい。
六郷水門
泉麻人 いずみ・あさと
1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表。著書に『大東京23区散歩』、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』、短編集『夏の迷い子』など多数。東京新聞ウェブ連載の路線バス旅エッセイの第2弾『続・大東京のらりくらりバス遊覧』、初期のコラム集『泉麻人 黄金の1980年代コラム』(三賢社) 、『銀ぶら百年』(文藝春秋)など多数。