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熊野神社跡のプレート

都電荒川線の尾久や町屋のあたりには、南北にくねくねと続く魅力的な裏道が何本かある。熊野前の電停の所から尾久橋通り(上を舎人ライナーが走る)の西を通っている道もその1つ。入り口に〈はっぴいもーる熊野前〉という商店街の愛称が掲げられているが、ひと昔前は熊野前銀座と呼ばれていた。

熊野前の本体の熊野とは「熊野神社」のことだが、これはもう明治の頃には尾久八幡神社に合祀されてなくなってしまったらしい。尾久橋通りをちょっと北に行ったあたりに、熊野神社跡のプレートが立っている。

ところで、はっぴいもーる熊野前の道は都電通りを突っ切って、荒川のほうまで続いている。まずはこちら側から歩いてみよう。商店は乏しいものの、ちょっと行った先に「鈴木商店」という小さな看板を出した昔のタバコ屋さん風の店がある。店内には古着と思しきTシャツに皿、オモチャ……いまはナンデモ屋さんのような感じだけれど、戦後まもなくの開業という。僕が昔話を聞きたがっているのを察して、気さくな女主人が奥にいる先代のおばあちゃんに声をかけてくれた。

鈴木商店

「こちら側の道は、熊の渡し商店会っていっていたのよ。隅田川に出たとこに渡し舟があったんでね。昔はもっとずーっと商店が並んでいたんですけどねえ」

昭和25年(1950)まで存在したという熊野の渡し。おばあちゃんは子どもの頃、その渡舟で隅田川を渡って西新井大師のお参りに行った記憶があるという。

店前の道を北方へ歩いて、突きあたりをちょっと右に行くと尾久橋通りの尾久橋の手前に出る。この広い道が通ったのは昭和も50年代になる頃だが、ちょうど橋のたもとあたりに熊野の渡しの乗り場はあったらしい。

さっきの鈴木商店近くの横道を入った所に「山惣」という素敵なレストランがある。一見、上高地あたりの古いリゾートホテルを思わせるような赤屋根の洋館。昭和28年(1953)に町屋で開店して、ここは昭和35年(1960)から始まった。山惣——という店名、当初 “山本惣一郎”みたいな創業者の名の略か……とイメージしていたら、ご主人の名は先代が柳川馨、現2代目が柳川英蔵といい、全く関係ない。

レストラン山惣

「先代が画数を調べて、長続きしそうなのを考えたらしい。なんでも“山惣”は“三越”と同じ画数だと……」

なるほど、漢和辞典で調べてみると、どちらも3+12画で一緒だ。

そんな山惣でデミグラスソースが格別な味のハンバーグをランチに食べて、都電通りの向こう側の商店街に入った。このはっぴいもーる熊野前、かつてビートたけしの番組(元気が出るテレビ)で、たけし顔のまねき猫を作って盛り上がっていたことがあったけれど、もうあれから30年以上が経つ。昔ながらの個人商店はいまもぽつぽつと見受けられるが、昼時にシャッターを閉ざしたままの店が目につくのはちょっと寂しい(取材日の火曜を定休日にしている店が多いのかもしれない)。

はっぴいもーる熊野前から見た鉄塔

背の低い店の右奥に東電田端変電所の鉄塔が見えるが、この変電所は歴史深い。大正の初めに猪苗代水力発電の変電所として立ちあがった所で、つまり福島の猪苗代湖近くのダムで発した電気を鉄塔を伝ってここまで送り込んでいたのだ。大正の震災前の地図を見ると、広大な田んぼのなかにこの発電所と敷設まもない王子電軌(都電の前身、王子電気軌道)の線路がのどかな感じで描かれているが、猪苗代水電の電気が王電の運行にも貢献したのである。

東電田端変電所に向かう万年塀の路地

施設を取り囲む、長々と続く万年塀の路地を歩いてもとの道に戻ってくると、商店街の名はやがて尾久銀座と変わり、道幅も狭まってディープな感じになってくる。ちなみにこの尾久銀座は〈おぐぎんざ〉とカナの名が掲げられているけれど、この先にあるJR駅の尾久は〈おく〉と濁らない。日本の地名は紛らわしいが、そういうバラツキも地図や散歩の愛好者には楽しいものだ。

おぐぎんざ

泉麻人 いずみ・あさと

1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表。著書に『大東京23区散歩』、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』、短編集『夏の迷い子』など多数。東京新聞ウェブ連載の路線バス旅エッセイの第2弾『続・大東京のらりくらりバス遊覧』、初期のコラム集『泉麻人 黄金の1980年代コラム』(三賢社) 、『銀ぶら百年』(文藝春秋)など多数。

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