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応募締切:令和6年6月30日(日)まで

三田は母校・慶応義塾のある街なので思い出深い。JR田町駅の三田側に出て、第一京浜(東海道)を渡った先に慶応仲通りという学生通りの入り口があるけれど、今回はその手前を左に直進する。三田3丁目の表示がある交差点を渡ると、まもなく二又に差しかかるが、その左側の道が聖坂。高輪の方まで細長い台地の尾根を行く。東海道の丘上を並走する裏道といってもいい。ちなみに、聖坂の聖とは、高輪にある高野山別院(高野聖)に由来する。

道の左側はいま大規模なマンションビルの建設工事をやっているが、見晴らしの良いこの辺は1960年代から「東急アパート」などの高級マンションが並んだ場所だ。もっとも、いまは崖下の第一京浜ぞいも高層ビル街になってしまったが……。その先に亀塚公園というのがあるけれど、一見、武家屋敷のような立派な塀は、以前ここに存在した華頂宮(かちょうのみや)という皇族家時代のものらしい。園内に見える小高い山が亀塚古墳。その脇の崖から下へ行く階段を降りていくと、三田の地名の元でもある御田(みた)八幡神社がある。社殿の奥の崖に張り付くように立つ、薄暗いお稲荷さんが妙にそそられる。雑草の中に椎の木なんかがひょろっと伸びる、こういう素朴な崖も最近の都心では珍しい。

地域のシンボル的な存在の高輪消防署二本榎出張所(東京都選定歴史的建造物)

聖坂の由来が示された標識

亀塚公園の塀

亀塚公園から御田八幡神社へ続く階段

御田八幡神社

亀塚公園の前を向こう側に渡ると、こちら三田4丁目の界隈はいわゆる寺町だ。寛永の年代、江戸城の拡張に伴って城回りから移ってきた寺が多いというが、関東大震災や昭和戦時の空襲被害も少なかったことから、佇まいも古い寺が目につく。幽霊坂を下っていくと、T字路の一角に立つ玉鳳寺の門前の小屋に「化粧延命地蔵」というのが祀られている。なんでも、おしろいを地蔵に塗って祈願すると美肌になる(昔は別の効用だったのだろう)なんて言い伝えがあるらしく、真っ白けの姿を見せている。玉鳳寺の脇の好みの石垣づたいの小路を通って、魚籃坂の途中から伊皿子(いさらこ)の交差点にやってきた。

幽霊坂

玉鳳寺の「化粧延命地蔵」

伊皿子という古地名は、江戸時代初期の明からの渡来人の名に由来する……などの説があるが、なぜこんな宛て字になったのか、よくわからない。ともかく、この交差点を横断するのが聖坂から進んでくる道で、ここから高輪方面は二本榎通り、と呼ばれる。

進路の右手、こんもりとした木立ちと立派な門を構えているのが、往年の高松宮邸だ。数年前、上皇・上皇后の住まいに使われていた時期もあったが、いまは通称「高輪皇族邸」というらしい。沿道は段々と商店街めいてくる。歩くたびに古い商店がなくなっていくのは切ないが、まだ豆腐屋とかテーラーとかの昭和風情の店屋が健在だ。二本榎、という地名は各所にあるけれど、ここ高輪二本榎の由来碑が立つ承教寺の参道口にもう1つ、奇妙な〝狛犬(こまいぬ)〟が置かれている。道の両側に2体あるそれは狛犬ではなく、「件(くだん)」という伝説獣を象ったもの(狛件(こまくだん)という)で、字の如く、人と牛が合体した妖怪(予言をする超能力をもつ)なのだ。ただし、なぜここにあるのか?謂れ書きもなく、そこがまた謎めいている。

石垣のある小路

魚籃坂へ続く急坂

高輪二本榎由来碑

狛件

その先、高輪警察署前の交差点手前に立つ高輪消防署二本榎出張所のクラシックな望楼が今回の散歩のハイライトだ。灯台のような恰好をしたこの建造物を僕が初めて見たのは、確か大学生だった70年代の後半、高輪に住む友人の家に遊びに行ったときのことで、いまよりも低い町並の先にこれが忽然と現れた光景が目に残る。

歴史を先に説明すると、この望楼――いわゆる火の見やぐら付きのコンクリート建築の竣工は昭和8年(1933)のことで、建築用語としては「ドイツ表現派」に属するらしいが、品川沖から眺めた灯台をイメージしたデザインのようだ。今回はアポを取って、望楼の最上部まで案内してもらった。

安全上、しっかりとしたハーネスを装備して、徐々に狭くなっていく階段を上り、外にせり出した物見台の柵にハーネスのフックをくくりつけて外景を見渡す。いまやビルが林立して、東京湾も望めないが、レインボーブリッジがちょびっと垣間見えた。ちなみに、この望楼が火の見業務に使われていたのは、昭和46年(1971)11月までらしい。

1階の現役消防車の裏方に展示された、昔のボンネット型消防車(ニッサン180型)を眺めて、署の角の桂坂を下っていく。右手に高野山別院や高輪館の表札を出したヴォーリズ設計の美しい洋館(旧・朝吹常吉邸)を横目に進むと、前方に第一京浜の向こう側に建設中のビル群が迫ってくる。もう、そのすぐ先は高輪ゲートウェイ駅。坂上の昭和から、坂下の令和にやってきた。

特別に望楼の最上部へ案内してもらいました!
※望楼の最上部の見学は通常行っていません。

消防の歴史を知ることができる展示室(3階)

ボンネット型消防車

高輪消防署二本榎出張所
9時から16時30分まで庁舎内部の見学が可能です。
※災害出動などで見学できない場合があります。
※詳しくは、ホームページをご確認ください。

泉麻人 いずみ・あさと

1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表。著書に『大東京23区散歩』、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』、短編集『夏の迷い子』など多数。東京新聞ウェブ連載の路線バス旅エッセイの第2弾『続・大東京のらりくらりバス遊覧』、初期のコラム集『泉麻人 黄金の1980年代コラム』(三賢社) 、『銀ぶら百年』(文藝春秋)など多数。 2023年秋に平凡社より『昭和50年代東京日記ーcity boysの時代』を刊行。

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