スマホの地図を見ていたら、根岸の方に「御行の松通り」というのがあった。割と最近採用された呼び名だろうが、「御行の松」自体は、広重の風景画や江戸名所図会にも描かれた古い史蹟だ。最寄駅は山手線の鶯谷、あるいは日比谷線の入谷。金杉通りの根岸3丁目交差点の1本裏の五差路の一角に「手児奈(てごな)せんべい」という古い店があるけれど、ここがコースの起点。歩き始める前に、ちょっとこの店を覗いていこう。
のれんをぺろっとめくって、品棚の向こう側にいるおかみさんに店の歴史を伺うと、開業は昭和28年(1953)。「手児奈」ってのは市川真間の弘法寺に祀られた手児奈という霊神(悲劇の美少女伝説がある)にちなんだものだという。「叔父が住職と知り合いだった関係で屋号に使わせてもらったんですけど……」手児奈の出元は意外だったが、開店して70年、もうすっかり根岸のおせんべい屋さんとして定着している。人気の亀せん(亀の甲羅型)、ごま、みそ、ザラメ……さらに「正油2度付け」とか焦(こ)げたのだけ集めた「こげせん」とか、商品のバリエーションもおもしろいが、おかみさんの話もおもしろい。女講談師のようなマシンガントークが止まらない。「せんべいは、そこにある古い機械で息子が毎日、焼くんですよ。夜中に作業するもんで、いまは2階で寝てるのよ」。木造2階建の店の佇まいはもちろん、こういう職住一体型の店というのはもはや下町でも珍しい。
御行の松不動尊で初代御行の松の一部を見ることができます。
おかみさんに店の歴史を伺いました。
この機械で息子さんがせんべいを焼いているそうです。
今回のコースの起点
店の左側の御行の松通りの周辺は〝根岸の里〟の俗称もつく寺町。道筋がややしなっと折れる右側に、「御行の松」は存在する。いまのは4代目くらいにあたるらしいが、江戸でハヤった初代の松の幹の一部も飾られている。先に広重の話を書いたけれど、この地をさらに有名にしたのは三遊亭圓朝が原作とされる落語「お若伊之助」。僕の時代は志ん朝の定番ネタだったが、男女の逢引の舞台に使われていた。その噺(はなし)のオチが元とされる〝狸塚〟もある。広重画の松の傍らに描かれている音無川の跡の道が台東区と荒川区の境角になっていて、そこを越すと町名は根岸から東日暮里に変わった。この辺からはお寺よりも、町工場が増えてくる。東日暮里3丁目の交差点付近の電柱に「カンカン森通り」の表示を見つけたが、この名前は東西に横断する道に付けられたもので、少し東方の猿田彦神社に石碑が残る〝神々森(かんかんもり)〟という鎮守の森が由来のようだ。
御行の松不動尊
狸塚
やがて、道幅が一段と狭くなった先に、見逃せない銭湯がある。派手な看板が出ているわけでもないので、正面を向いて直進していると、うっかり見落としてしまいそうだが、右に酒屋のある所で左方に顔を向けると、お手本のような唐破風の軒、玄関の脇の壁に渋緑のタイル装飾などが施された「帝国湯」のファサードが目にとまる。「手以古久湯」と当て字がデザインされたのれんもシャレているが、この銭湯が開業したのは大正5年(1916)。関東大震災や戦災によって当初の建物は消失したが、現在の建物は昭和27年(1952)からメンテナンスされながら継承されている。背中に“番頭”と入った紺のTシャツを着た女性に裏方の燃料室(薪をくべる)などを案内してもらったが、いまでも薪(古くなったフォークリフト用の木製パレットや廃材を細かく切ったもの等)を使い、浴槽や洗い場の水もすべて井戸水を利用している。「もともと湿地だったので、地下水は豊富なんですよ」と伺ったが、確かに大正時代の地図には先の音無川と並行するような小川が何筋も通っている。
帝国湯
燃料室
風呂場の壁には西伊豆あたりから望む富士山が描かれ、その下に〈千葉實(じつ)母散 薬湯〉〈強力超音波浴泉 共立式〉などと記された、かなり年季の感じられるホーロー看板が貼り出されていた。「お湯は熱い」とは聞いていたが、「超音波浴泉」の方は相当熱い。45度くらいだろうか……。ぬる目の薬湯の方を中心に浸ったが、「神経痛、しもやけ、リウマチ……、皮膚の色つやを良くして根本から健康となる」などと効能が書かれていた。脱衣場の傍らに小さな裏庭があって、池に鯉が泳いでいたが、元をたどればもしや、湿田時代の沼や湧水池の名残りかもしれない。帝国湯を出て、韓国料理店が目につく商店街をちょっと歩くともう三河島の駅。三河島のホームには帝国湯をはじめ、周辺の5軒の銭湯案内が掲示されていた。
JR三河島駅
泉麻人 いずみ・あさと
1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表。著書に『大東京23区散歩』、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』、短編集『夏の迷い子』など多数。東京新聞ウェブ連載の路線バス旅エッセイの第2弾『続・大東京のらりくらりバス遊覧』、初期のコラム集『泉麻人 黄金の1980年代コラム』(三賢社) 、『銀ぶら百年』(文藝春秋)など多数。 2023年秋に平凡社より『昭和50年代東京日記ーcity boysの時代』を刊行。