小学生時代からスポーツ万能
小さい頃から体を動かすことが好きで、小学生になると卓球だけでなくサッカーやソフトボールもやっていました。自分で言うのもなんですが、スポーツ万能だったと思います。小学校の1年生からは習字やピアノ、そろばんと色々な習い事で、とにかく毎日忙しくて、友だちと遊べるのは学校の休み時間くらいで、竹馬や一輪車、ドッジボールやサッカーなどをしていました。授業中はほとんど目立たず、唯一目立てるのが体育やスポーツの時だったんです(笑)。
卓球の奥深さを知ってはまっていった
卓球を始めたのは、5歳の時に父が設立した「豊田町卓球スポーツ少年団」に一期生として入団してからです。卓球は小学生が大人に勝ったり、お爺ちゃんが若い人に勝つこともある競技です。サッカーや野球では絶対に起きないことだと思うんです。身体能力や技術だけでなく、戦略によってどんな結果になるかわからない。小さなボールにすごい回転をかけたり、心理的な駆け引きもあり、そんな奥深さがたまらなく好きで、卓球にはまっていきました。
ドイツ留学が卓球人生のターニングポイント
中学2年生の時に卓球人口も多くレベルも高いドイツに留学しました。当時、ジュニアナショナルチームのコーチだったドイツ人の方が、「水谷を1年中指導していたい」と声をかけてくれました。ドイツ留学が決まってスポーツの名門・青森山田中学校に転校しました。ドイツ留学が最初のターニングポイントだと思っています。高校を卒業するまでにドイツで過ごした5年間は卓球漬けの毎日でした。ブンデスリーガでの試合、日本代表の試合、シーズンオフは帰国し学校の試合に出るなど、一年中練習と試合の繰り返しでした。
池袋は今でも落ち着ける街
青森山田高校を卒業して明治大学に入ったのが19歳の時。大学の練習場があった調布の思い出といえば、カレーです。部員お気に入りの店に出前を頼んでみんなで食べるのが日課でした。つい最近、テレビの企画で初めてお店に伺った時「卓球選手用にちょっと塩分多めで体力をつけられるよう工夫していた」という話を聞かせていただきました。特別に生卵を入れてもらいカレーをかき分けると中に生卵が入っている。メニューにはない、卓球部がお願いした裏メニューですね。
大学の頃、板橋に住んでいたので、池袋によく行っていました。今も行くので19歳頃から15年位池袋の街が変わるのを見てきました。知っている店が多く僕にとっては馴染んでいるというか、落ち着く街です。渋谷や新宿は賑やかなところが駅からちょっと離れているイメージですが、池袋は駅周辺に何でもあって、全てそこで完結していますよね。
新しいことへの挑戦が僕の人生のプレースタイルだと思う
東京2020オリンピックの時は、無観客での試合で残念でした。でもたくさんの方がテレビを見てくださっているのは分かっていたので「いいプレーを見せたい」という気持ちをずっと持っていました。日本で開催されたこともあり、応援してくださる方の思いを直に感じることができ、それが力になりました。
オリンピックは全部で4回出場していて、東京2020オリンピックは金メダルを獲ることが目標でした。これまで中国という高い壁に阻まれ「届かないところにあるのが金メダル」だと思っていました。金メダルを獲ってからも夢じゃないかと中々実感が湧きませんでした。
人と同じことをしないというポリシーを昔から持っています。ドイツ留学、23歳から5年間ロシアリーグで戦ったこと、男子で初めてプライベートコーチをつけたこともそうです。誰もやったことがない道を切り開く……これが昔からの僕のプレースタイルで、引退した今も変わらず、何か新しいことに挑戦していきたいんです。
引退してから2年半。オリンピック前に思い描いていた引退生活より充実していると感じています。アスリートはセカンドキャリアで苦労する人が多いので、悩んでいる人の手助けに少しでもなれればいいなと、思っているんです。
Favorite Song
ゆずの「栄光の架橋」が大好きです。アテネオリンピックの体操ニッポンの復活劇は青森の寮で見ていましたが、いつか卓球を強かった時代に戻したいという思いが芽生えました。今でもこの曲を聴くとモチベーションが上がって自分ならやれる、という気にさせてくれます。
Mizutani Jun
1989年6月9日生まれ。4大会連続オリンピック出場。2016年リオデジャネイロオリンピックの男子シングルスで、日本人初の銅メダルを獲得。東京2020オリンピックの混合ダブルスで日本卓球界史上初の金メダルを獲得。2021年に現役を引退。現在はタレント、スポーツキャスター、卓球解説など多方面で活動中。X(旧Twitter)@Mizutani__Jun