コンビを組んだきっかけ
福田 僕が高校生の時に入っていたラグビー部で、ある日、ちょっと怖い先輩から「暇だから、お前ら1年生で漫才みたいなものをやれ!」と言われて、同じ1年生の太った子と漫才みたいなことを先輩たちの前でやったんです。それがすごく楽しくて、昼休みに友だちの前でやりたいと思ったんです。お笑いは、掛け合いでやるものと思っていたので、いろんな子に一緒にやろうと声をかけたんです。
益子 なんでいろんな子に声をかけたんだっけ?
福田 最初に一緒にやった子とはクラスが違ったからね。明るく面白い子に声をかけていったんだけど、全員に「やりたくね〜」「やだよ」と断られて、最後に益子に声をかけたら「いいよ〜!」と一言。最後の最後にいい子が残っていたんですよね。
益子 最初に声をかけた子と漫才をやっていたら、もっと良かったかもしれないですよ(笑)。俺って、栃木の学校でも特に田舎で山寄りのグループ。福田は田舎の都会というか、高校でもちょっとシティー派のグループだったんです。「シティー派に言われたら断れない」という感じでしたね。
福田 同じ学校から来た子が多くて勢いがあったし、格好も確かにおしゃれな子が多かったかな。
益子 はい、はい。
出会った時の印象
福田 あんまり明るくなく、ボソボソと喋る物静かな印象で前に出て騒ぐという感じではなかったんです。
益子 ちょっとシティー派だったんで、学ランの下に着るシャツがカラフルだったり、ネルシャツみたいなのを首からちょっと出してたりして、俺ら山寄りからしたら、都会の子だなという印象が強かったですね。ベルトも黒じゃなくて茶色なんです。それをすっごく覚えてますね。
U字工事の誕生
福田 最初はコンビを組むというよりは、遊びの延長線上のような感じでした。午前中の授業の休み時間でちょこちょこっとネタを作って、昼休みに披露するというのを毎日のようにやっていました。
益子 1年生の途中から、学校に行っている時は昼休みの漫才が日課で、教室の一番端っこで5人ぐらいの前でやってました。
福田 廊下で待機していて、チキチキとか口で言って、ガラガラと戸を開けて出て行くのが楽しかった。
益子 コンビ名もなかったので〝レッツゴー二匹〟とか、適当なノリで名前をつけてやっていました。
福田 毎回、黒板に今日のコンビ名がチョークで書いてあるんですよね。
益子 高校3年の時にテレビ朝日の素人コーナーのオーディションを受けた時には、その前後ぐらいに同級生が書いていた「U字工事」で受けて受かったんです。名前を書いた同級生は「俺、覚えてないよ」と言うんですけど、俺らは覚えてるんですよね。
福田 若い頃に浅草キッドさんのライブに出させてもらった時に「栃木弁を出したほうがいいよ」って、言われたので「やってみよう!」と。その一言が、栃木弁を全面に出すきっかけになりました。
町田には20代の思い出がいっぱい
福田 高校を卒業して町田市にある桜美林大学に二人とも進学しました。
益子 町工場で一緒にアルバイトもしていました。バイト先の友だちや社長とその友だちのオジサンたちともすごくいっぱい遊んだり仕事もしたので、町田は俺らにとって思い出深い街なんですよね。
福田 20代の思い出はバイトとお笑いライブばっかりですね。
益子 アルバイトや通学で町田街道をずっと使っていたので、とても懐かしいですね。アルバイト先の社長たちの草野球チームとかソフトボールチームにも入って、土日は町田市民球場などの試合に出ていました。
福田 俺らが忙しくてアワアワしているとアルバイト先の社長に「一遍にスリーアウト取ろうとしないで、ワンナウトずつ取っていこう」とよく言われたんです。それが心に残っていて、今も、仕事が重なった時に、自分のキャパが小さいから「う〜、どうしよう」となっちゃうんですけど、その時に、「まず、ワンナウト」と思うと少し気持ちが落ち着くんです。
益子 そう、まずワンナウトですね。
東京の街にはいろんな表情がある
益子 浅草東洋館で漫才をやっていますので、浅草には頻繁に行きます。近くの蕎麦屋さんとかに行くのですが、一緒には行かないんですよね……。
福田 たまにどっちかが先に入っていたりすると「うっ」と思う時がありますね。一緒が嫌というよりは、二人で入るのはなんだか恥ずかしいんですよね。
益子 福田が先に入っていたら、ちょっと待つかと、プラプラして戻って来るんですが「まだ、食ってる」なんてこともあります(笑)。浅草は好きな街ですね。
福田 家族でよく行くのは吉祥寺。自然と都会の両方があるし、気取ってなくて、我々田舎もんでも行きやすい。
益子 山登りが好きなんで奥多摩にも行きます。森林浴もできるし、東京でもこういうところがあるんだなと思います。
福田 僕は新撰組が好きなんで日野にはよく行ってます。高幡不動尊には家族と年に2、3回は絶対行きますね。好きなのは土方歳三。土方歳三資料館にも行きました。
いつまでも漫才を続けたい
益子 俺は、同世代で誰よりも丈夫でいたいと思っているんです。足腰がしっかりしていれば、70くらいまで生きられて漫才ができる。誰よりも面白くはできないので、誰よりも丈夫でいようと思っています。
福田 出られるうちは頑張ってメディアに出たいです。おじいちゃんになっても漫才で飯を食っていけたら幸せですね。
益子 将来的に知名度というのは大事なので、もっともっとたくさんの人に〝U字工事〟を知ってもらいたいですね。浅草の漫才協会に入っていますので、お客さんに劇場に来てもらいたいです。
福田 テレビもいいのですが、やはり劇場に足を運んで欲しいです。僕らの知名度があるうちに劇場にお客さんに来てもらうことで、漫才協会の若手がお客さんの前でネタをできる場になるというのが一番の理想ですね。
Favorite Song
福田薫
竹原ピストルさんが二人で組んでいた〝野狐禅〟時代の「初恋」が好きです。ライブでスベった後に相模原のアパートでよく聴いていました。熱い歌で、今も運転に疲れてきた時に家内がかけてくれるんですが、元気が出て頑張んなきゃと思える曲なんです。
益子卓郎
演歌が好きなんで、鳥羽一郎さんや吉幾三さんを聴いています。鳥羽一郎さんの「海の匂いのお母さん」は田舎のお母さんを歌ったもので、この曲を聴くと母を思い出すし、田舎を思い出すんです。鳥羽さんの歌がいいし、生き方も含めて全て好きなんです。
U字工事
学生時代からアマチュアとしてローカル番組に出演。2000年コンビ結成。 2008年M-1グランプリ決勝進出を機に全国区へ。2009年とちぎ未来観光大使に受嘱。2011年漫才協会入会。2017年第28代真打ちに昇進。X(旧Twitter)
Fukuda Kaoru
1978年5月12日生まれ 栃木県那須塩原市出身(旧:西那須野町) 那須塩原市まちづくり大使
Mashiko Takurou
1978年6月16日生まれ 栃木県大田原市出身(旧:黒羽町) 大田原ふるさと大使