プレゼント

読者プレゼント

応募締切:令和5年1月31日(火)まで

北海道で伸び伸び過ごした
子ども時代

私は北海道の滝川市生まれで、兄と姉2人の4人兄妹の末っ子です。両親が働いていたので鍵っ子でしたが、兄と姉がいたので、寂しいと思うことはありませんでした。2学年ずつ離れていたのですが、とにかく仲が良くて、いつも一緒に遊んでいました。全員が活発だったので、自転車に乗って、あてもなくどこまでも走って行ったりするのが楽しくて……。今の子どもたちのように家でゲームをして遊ぶという感じではなかったです。兄妹で公園に行くと、約束していなくても、そこに学校の友だちもいて、「一緒に遊ぼう」と自然に集まって、伸び伸びと、自由に過ごしていました。

安室ちゃんになりたくて受けた
オーディション

元々、歌は上手だったんです!(笑)。私が保育園の頃、おばあちゃんが演歌を習っていて、藤あや子さんの歌をよく一緒に歌っていたんです。そんな時、みんなに「上手だね!上手だね!」と褒めてもらって、「じゃあ演歌歌手になろうかな」と思ってしまったんですね。「上手」と言って育てられて、「歌手になれるんじゃないの」って言われて育ったので、「私、なれるかも」と。小学校の5、6年生くらいになった頃に、安室奈美恵さんが大活躍されてたんです。すっごく可愛いくて、それからは、安室ちゃんに憧れて、2000年にモーニング娘。のオーディションを受けました。私の世代の方は、本当に安室ちゃんに憧れて歌手になったという人が多いと思います。アイドルになりたいというよりは、歌手になりたいという思いが強かったです。

10代の私にとって渋谷109は
聖地だった

オーディションには、母が付き添ってくれました。私にとっては初めての飛行機でした。初めて東京に来た時、とにかく人が多くて、ごちゃごちゃしていて、これが東京なんだと思いましたね。一番行ってみたかった、渋谷の109に行けたことが、すごく嬉しかったです。ギャル全盛の時代だったので、厚底靴で行きました!2003年にソロからモーニング娘。のメンバーになったのですが、グループに入るのは少し戸惑いがありました。ソロとグループではダンスも違いますしね。振り付けの立ち位置がすごく細かいだけでなく、フォーメーションも変わるので、どこを通れる、通れないということもあって、ダンスに慣れるのはとても大変でしたね。でも、モーニング娘。になって少し自分の時間が持てるようになったんです。遠くまで出かけるほどの時間はなかったのですが、松浦亜弥ちゃんと渋谷に遊びに行ったこともあるし、センター街にプリクラを撮りに行ったりしてましたね。その頃は、渋谷や原宿に出かけてお買い物をするのが息抜きになっていたのだと思います。

オンとオフの境目がないから
自然体でいられる

私は芸能界で過ごしてきて、大変だなと思ったことはありません。それと自分と誰かを比べたということも基本的にはないんです。自分に今、何ができて、何が合っているのかと考えて、その積み重ねの結果、今の私があるのだと思っています。だから、「ミキティでいなくちゃ」という気持ちも全くないんです。私って周りを気にしないだけでなく、オンとオフの切り替えがない。いつもオンでありオフという自然体なんですね。今年はデビュー20周年でしたが、あっという間の20年でした。結婚をして家族も増えました。休みの時はキャンプやお台場に行ったり、新宿の街をブラブラしたりしています。とにかく今はみんなと過ごせる時間が一番大切だと思っています。

Favorite Song

中・高校生の頃に好きだった安室奈美恵さんの曲を最近、よく聴いています。安室ちゃんの曲は全部好きなんですが、「SWEET 19 BLUES」が大好き。ちょっと大人っぽい雰囲気の曲で、聴いていると青春時代を思い出しちゃいます。

Fujimoto Miki

1985年2月26日生まれ。北海道出身。大のキティちゃんファンで愛称は「ミキティ」。
ソロ活動、モーニング娘。の活動を経て、結婚後はタレントとして活躍中。現在は3児のママ。イオンのアパレルブランド「ESSEME」(エシーム)とのコラボや、アパレルブランド「シューラルー」での広告キャラクターを務める。藤本美貴YouTubeチャンネル「ハロー!ミキティ」も好評。

このページのアーカイブ

NO.74

宇垣美里さん

NO.73

U字工事さん

NO.72

當真あみさん

NO.71

青木源太さん

NO.70

下野紘さんと松岡禎丞さん

NO.69

藤本美貴さん

NO.68

吉川愛さん

NO.67

長友佑都さん