撮影協力/台東区 案内人/台東区文化産業観光部観光課/真田いくゑさん、中村佳奈さん
※新型コロナウイルス感染症予防対策を行い、ソーシャルディスタンスを保ち撮影を行いました。
谷中・入谷エリアを楽しむ!
台東区は江戸時代から続く、東京でも最も古い歴史を持つまちの一つ。
たくさんの人気スポットがありますが、
今回はその中でも下町文化が今も息づきながらも、
古民家をリノベーションして現代によみがえらせようと試みるなど、
新しい風が吹き始めている谷中・入谷エリアを紹介します。
不要不急の外出は控えて、WEBサイトで谷中・入谷エリアの散策をお楽しみください。
谷中エリア
上野公園にも近く、文化スポットが点在しています。
谷中霊園
かつての天王寺境内を中心に、その周辺を整備して造られた都立谷中霊園。谷中の寺町の中にあって、寛永寺や天王寺の墓地が入り組んでいます。
谷中霊園には渋沢栄一、鳩山一郎、横山大観などの著名人が眠っています。隣接する寛永寺霊園には徳川十五代将軍・慶喜公のお墓があります。
古くから桜の名所として知られ、桜通りはあたかも桜のトンネルを歩いているようになります。桜通り沿いには、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになった天王寺五重塔跡があります。
台東区谷中7-5-24
寛永寺霊園に眠る江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜公。円墳状の墓で慶喜公(左)と妻(右)が並んでいます。
渋沢栄一の墓。栄一の墓が向いている先には寛永寺霊園があり、かつての主君であった徳川慶喜公が眠っています。
谷中霊園の桜並木
趣のある雰囲気が残る御隠殿跨線橋あたり
御隠殿跨線橋から御隠殿坂を上り谷中霊園へ。
台東区立書道博物館
明治・大正・昭和期に洋画家であり書家として活躍した中村不折により昭和11年(1936)に開館された博物館。第二次世界大戦の戦災を免れ、昭和初期の趣を残す本館は近代洋風建築としても貴重で、「中村不折旧宅」として東京都指定史跡となっています。
書道研究のため不折が収集した甲骨文、墓誌や拓本、青銅器など、中国及び日本の書道に関する古美術品、考古出土品など、16,000点を収蔵しています。
また、不折の作品や関係資料を展示してある中村不折記念館を併設。
大胆で斬新な書風を展開した “不折流”は、印象的でデザイン性の高さと親しみやすさから、店名や商品名のロゴに用いられています。「新宿中村屋」の看板文字も不折が書いたものです。
台東区根岸2−10-4
開館時間/9時30分〜16時30分(入館は16時まで)
休館日/月曜日(祝休日と重なる場合は翌平日)、年末年始(12月29日〜1月3日)、特別整理期間等
入館料/一般500円、小・中・高校生250円
詳しくは、こちらでご確認ください。
本館1階第一展示室には石碑などの大型作品が展示されています。
寛永寺の御隠殿跡である中庭は、桜をはじめ四季折々の景色が楽しめます。右手奥の蔵は、平成23年(2011)に中根岸の中村不折旧宅で発見され移築・復元されました。
本館2階第五展示室には墨や水滴などの文具や鏡鑑、墓券などが展示されています。
東叡山 寛永寺
寛永2年(1625)、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、天海大僧正によって建立されました。山号は「東の比叡山」の意味で、寺号は寛永年間に創建されたことによります。
のちに徳川四代将軍・家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。東叡山主に皇族(輪王寺宮)を迎えたことで、寛永寺は江戸時代、格式と規模において日本屈指の大寺院になりました。
幕末の上野戦争で被災し、敷地のほとんどが上野公園となりました。根本中堂も焼失し、現在の根本中堂は川越喜多院の本地堂を山内子院の大慈院(現・寛永寺)に移築しました。
台東区上野桜木1-14-1
根本中堂
令和3年(2021)、根本中堂と幕末に最後の将軍徳川慶喜公が謹慎した部屋・葵の間(葵の間は通常非公開)が登録有形文化財に指定されました。
寛永寺旧根本中堂鬼瓦(左)と旧本坊表門鬼瓦(右)
境内根本中堂前の鐘楼堂
浄名院
寛文6年(1666)に開創され、徳川四代将軍・家綱公の母・宝樹院の菩提所として栄えました。ぜんそく、病気平癒を祈願する「へちま加持祈禱会」で全国的に知られ、「へちま寺」とも呼ばれています。 広い境内には、八万四千体地蔵尊の建立成就を目指し、数多くの石地蔵尊があります。
台東区上野桜木2-6-4
風格のある山門
本堂
江戸六地蔵尊
宝永から享保年間にかけて江戸市中の6箇所に造立された銅造地蔵菩薩坐像・江戸六地蔵尊。第六番は深川永代寺が明治維新の廃仏毀釈によって廃寺となり、明治39年(1906)、第六番の代仏が新たに造立され、浄名院に祀られています。
境内の外には、浄名院が閉門後にお守りが必要な方のために、自動販売機が設置されています。
台東区の新しい風
■SCAI THE BATHHOUSE
約200年の歴史を持つ銭湯「柏湯」を改装した現代美術ギャラリーで、美術館や東京藝術大学が集まる上野公園からほど近い場所にオープン。最先端の日本の作家やまだ無名の海外アーティストの展覧会を開催しています。下町文化の空間を大切にしつつ、最先端の現代アートを紹介する拠点として、外国人観光客や地元の人たちにも親しまれています。
台東区谷中6−1−23柏湯跡
詳しくは、こちらをご確認ください。
SCAI THE BATHHOUSE外観
撮影:上野則宏
協力:SCAI THE BATHHOUSE
ボスコ・ソディ「Terra è stata stabilita」(2018年)
撮影:表恒匡 協力:SCAI THE BATHHOUSE
■上野桜木あたり
寛永寺から歩いて5分ほどのところにある上野桜木あたりは、昭和レトロの雰囲気が人気の谷根千散歩の新たな観光スポット。通りからちょっと入った静かな路地に建っていた築80年の日本家屋をリノベーションし、平成27年(2015)3月にオープンした複合施設。敷地内にはベーカリーや塩とオリーブオイルの店、谷中ビアホールなどがあります。また「ろじ・ざしき」などのスペースを活用したマルシェや料理教室など、様々なイベントが開催されています。
台東区上野桜木2-15-6あたり
詳しくは、こちらをご確認ください。
上野桜木あたり
入谷エリア
東京の古き良き下町風情が残されています。
小野照崎神社
小野篁(おののたかむら)と菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る神社。小野篁は平安時代初期の貴族。博学の文人で、詩文にも長じ、参議という国の要職も務めました。この神社は、篁が東下の際に住んだ上野照崎の地に創建されましたが、のちに寛永寺の建立とともに、現在の地に移されました。
台東区下谷2-13-14
授与時間 9時〜16時
境内にある富士塚(国の重要有形民俗文化財)
江戸時代の中期に築かれ「下谷坂本富士」と呼ばれ親しまれてきました。高さ6mほどのミニチュア富士山は毎年、夏越の大祓と富士山の開山に合わせた6月30日と7月1日の2日間に限り、一般に開放されています。
本殿
関東大震災、第二次世界大戦の空襲でも、被害を受けることなく無傷で過ごしました。
入谷鬼子母神(いりやきしもじん)(真源寺)
江戸時代の幕臣で狂歌師・戯作者の大田南畝(おおたなんぼ)(蜀山人(しょくさんじん))の狂歌「恐れ入谷の鬼子母神」で有名な法華宗の寺「真源寺」。江戸三大鬼子母神の一つに数えられ、安産や子育ての神様として信仰されています。「下谷七福神」の福禄寿を祀っています。
台東区下谷1-12-16
江戸時代から続いている朝顔市は、大正2年(1913)に途絶えました。昭和23年(1948)に復活し、毎年、七夕の前後に開かれています。入谷の名物であるだけではなく、東京下町の夏の訪れを伝える風物詩として、全国的にも知られています。
入谷朝顔発祥の碑
国道4号入谷交差点の南西角にあります。
かっぱ橋本通り
浅草の国際通りから上野駅近くの昭和通りまでの、東西約1.2㎞にわたる道。浅草は江戸時代から庶民の娯楽の中心として栄えた町で、その浅草と上野を結ぶ道として、明治、大正時代は大変賑わいました。明治時代には、線路上を馬が車両を引いて走る「馬車鉄道」が運行していました。
かっぱ橋本通りは「合羽橋信号」の先が無電柱化されており、一直線で東京スカイツリー®︎を見ることができる絶好のビューポイントになっています。
※掲載データは令和4年1月20日現在のものです。「新型コロナウイルス感染症」の影響により掲載している内容が変更される場合があります。