No.61 INDEX

YR-MAG No.61

TR-MAG.

2020 AUTUMN

NO.61

BACK NUMBER

毎回、ゲストの方に
これまで歩いてきた道(人生)、
これから歩いてみたい道について
語っていただきます

荒磯親方

17歳で十両に昇進し、史上2番目の若さで新入幕した元横綱稀勢の里関は、昨年1月、17年にわたる力士生活にピリオドを打ちました。現在は、年寄・荒磯を襲名し、田子ノ浦部屋付き親方として若い力士の指導にあたるほか、テレビ、ラジオで解説者としても活躍しています。

私は2歳から鳴戸部屋に入門する15歳まで、茨城県の龍ケ崎市で過ごしました。体も同じ年頃の子より二回りほど大きかったし、もう、手のつけられないやんちゃな子どもだったと思います。とにかく運動が好きで、常に体を動かしていないと落ち着かなかったですね。だから、小学校3年生の頃に、何かスポーツをやりたいと思って、いろいろなスポーツを見学しました。柔道は受け身の練習でしたが、野球は試合をしていたので、こっちの方が絶対面白いなと思いました。

ラグビーもやりましたが、一番熱中したのが野球です。本当は相撲をやりたかったのですが、相撲をする環境がなかったんです。それもあって、小中学校の頃は野球少年でした。今、ロッテで活躍している美馬投手が隣町にいたのですが、あまりにレベルが違うスーパースターが近くにいたので、プロ野球選手になる夢は持たなかったんです。でも、野球をしていたので、瞬発力や当てる感覚、基礎体力が鍛えられたので、良い選択だったなと思っているんですよ。

小学校2年生の時、毎年夏にある相撲大会で初めて土俵に上がりました。指導者がいなかったので、テレビの相撲中継を夢中になって見ながら、こんな感じかなと相撲を取っていました。今の子どもたちが、YouTubeを見るような感覚ですね。相撲界に入ってからの組手は左四つですが、子どもの頃は貴乃花関の相撲を見て真似をしていたので、右四つだったんです。

中学まで野球をしていたので、スカウトはありませんでした。入門した時に決めたことは、5年以内に序二段になること。大相撲番付は、序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内になって前頭、小結、関脇、大関、横綱の十段階ですから下から2番目です。だから「関取になりたい、横綱になりたい!」という気持ちはなかったんです。それでも、親と相談して、角界で一番稽古が辛い部屋に入ろうと決めて、鳴戸部屋を選びました。

「稀勢の里」の四股名(しこな)は、先代師匠の鳴戸親方が「なるいを作りなさい」とつけてくれました。師匠の四股名にある「里」をどうしても入れたいとお願いしていました。両親には「番付と共に四股名も育てなければいけない」と言われました。幕内の壁は厚く、スピード感も体力的にも全く別次元で、2、3場所、勝てない時が続きました。でも、相撲界での夢がどんどん膨らんで、「この四股名と共に自分は強くなるんだ」という気持ちで、稽古を重ね、一つひとつ階段を上り続けました。

4月から早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科に通っています。科学的に相撲をみたいというのがきっかけですが、経済学も学んでいます。また、経営者が多い社会人の同期とは異業種交流で刺激を受けています。先代師匠から「常に"二つの頭を使え"」と言われていました。二つの頭とは、立ち会いで使う頭と考える頭です。考え過ぎるとよくないと言いますが、考えることは大事です。若手にも勝つためにどうしたらいいのか自分で考え、言葉で伝えられるように指導しています。これからは新しい時代の力士やファンが増えてきますので、教えるのも解説するのも具体的に分かりやすく伝えていこうと勉強をしています。相撲界も時代に合わせながら、伝統を守っていく時期なんだと思っています。

本は好きでいろいろ読んでいます。中でも悪を倒す痛快なストーリーの小説が好きです。なかなか眠れない時など、本を開いて活字を見ているとスッと眠れる効果もあります。場所中は稽古の後、出発するまでの2、3時間、本を読んでウトウトすると、気持ちも楽になり、ちょっとリラックスできるので、読書は場所中のルーティーンでした。通販でまとめ買いした本が段ボールで3、4箱はありました。

荒磯親方(第72代横綱稀勢の里)

昭和61年7月3日兵庫県芦屋市生まれ。2歳の時に転居した茨城県龍ケ崎市で育つ。中学卒業後、元横綱隆の里の鳴戸部屋(のちに元幕内隆の鶴が継承。現田子ノ浦部屋)へ入門し、平成14年3月場所、15歳で初土俵。四股名は本名の「萩原」。平成16年1月場所、17歳6カ月での幕下優勝は、貴花田、富樫に次ぐ歴代3位の若年記録。同年5月場所で十両昇進。17歳9カ月での十両昇進は、貴花田に次ぐ歴代2位の若年記録。同年11月場所で幕内昇進。18歳3カ月での新入幕も、貴花田に次ぐ歴代2位の若年記録。新入幕を機に、四股名を「萩原」から「稀勢の里」へ改名。平成18年7月場所で小結昇進。平成21年3月場所で関脇昇進。平成22年11月場所で、横綱白鵬の連勝63でストップさせる。平成23年11月場所後に大関昇進。平成29年1月場所、念願の初優勝を果たし、場所後に横綱に昇進。新横綱の同年3月場所は右上腕部に大怪我を負いながら2場所連続優勝。その時の怪我が元で平成31年1月場所中に引退。年寄荒磯を襲名。

BACK NUMBER

ページトップへ戻る