No.62 INDEX

YR-MAG No.62

TR-MAG.

2021 WINTER

NO.62

BACK NUMBER

毎回、ゲストの方に
これまで歩いてきた道(人生)、
これから歩いてみたい道について
語っていただきます

上村愛子さん

3歳でスキーを始め、小学校6年間はアルペンスキー、 中学2年生の時にモーグルに出会い、18歳で長野オリンピックに出場。その後、5大会連続でオリンピックに出場した上村愛子さんは、2014年に競技生活を引退しました。現在は、イベントやメディアで活動するほか、JOCのオリンピック・ムーブメントアンバサダーとしてオリンピックの普及活動もしています。

私は関西で生まれたのですが、3歳の頃に両親の仕事の関係で長野に引っ越しました。その頃から、1歳上の兄と庭に積もった雪で雪だるまやかまくらを作ったり、長靴にプラスチックのスキー板を履いて雪の上を歩いたりしていました。次のシーズンには、エッジのついたスキー板を買ってもらい、スキー場を滑っていました。毎日、雪の上にいられるので、上達も早かったと思います。小学校6年間はアルペンスキーをしていましたが、中学1年生の夏に、このまま競技スキーを続けていくか迷った末、冬を迎える前にやめてしまいました。

そんな私を見ていた両親から「違う環境でスキーをしてみたら」と言われ、中学2年生の時に一人で2週間ほど、カナダにスキー旅行に行きました。ちょうどワールドカップが開催されていて、初めてモーグルという競技を見ました。大きな山の中に、250mくらいのバーンを囲ったゲレンデで、コブの急斜面を滑走し、ジャンプをするのを間近に見た時、これまでやっていたアルペンとは全く違うと思いました。コブを滑ってくる人の姿をドキドキしながら見る競技で、周りではずっと歓声が上がっていました。会場の熱気も、滑っている人の雰囲気もまるで違うことに驚きました。当時は、フリースタイルというカテゴリーがあることさえ知りませんでした。

カナダから帰ってすぐ、中学2年生でモーグルに転向しました。私にとってラッキーだったのは、白馬村に相談できる人がいたことと、まだ、モーグルが裾野の広い競技でなかったこと。そして、スキーはできても、コブも滑れない、ジャンプも飛べない、そんな私に、県連のトップ選手やチーム入りを目指す選手の方と一緒に練習するチャンスをいただいたことです。おかげでかなり早い段階から良い環境で練習を重ねることができました。結果を出せず落ち込むこともありましたが、いつも多くの方に励まされ、背中を押してもらい競技を続けられたのだと思っています。

18歳で長野オリンピックに出場した時、会う人会う人に「頑張って!」と応援していただき、「オリンピックってあったかい」と思いました。7位入賞に満足していましたが、先輩の里谷選手が金メダルを獲得し、オリンピックの金メダルが持つパワーが想像以上に周りを笑顔にすることを実感しました。選手を続けるからには、一番大きな目標は金メダルだということに気付きました。オリンピックで思っていたような結果は出ませんでしたが、5大会連続してオリンピックに出場できたことは、今の私の自信になっています。

引退をしてからは、子どもたちにスキーを教える機会が増えています。とにかくスキーを好きになってもらいたいので、楽しんでもらうことを基本にしています。あの練習をまたやりたい、モーグルをやってみたいと思ってもらえるような指導ができたら嬉しいです。2019年からは、JOCのオリンピック・ムーブメントアンバサダーとして、オリンピックデー・ランなどに参加しています。オリンピックはもちろん、スポーツはワクワクするものだと思っています。様々なスポーツイベントを通じて、オリンピック選手を身近に感じていただき、スポーツをする人の健康的で華やかなところを多くの人に知ってもらえたらと思っています。

遠征に出ていた頃、「この景色には2度と出会えない」という思いから写真を撮っていました。ゆっくり撮影したい時には、数年前からドイツのローライフレックスという、上から覗く二眼レフカメラを使っています。ネットオークションで探し当てたこのカメラはギリシャからやってきました。フィルムのしっとりとした仕上がりが気に入っています。スキーもそうですが、道具物が好きなんですよね。

うえむら・あいこ(元女子モーグル日本代表)

1979年兵庫県生まれ、長野県白馬村育ち。初出場した長野五輪で一躍注目を集め、日本のエースとして常にメダルを期待される存在となる。世界トップ選手のひとりとして、日本勢の成績を数々塗り替えた。 ワールドカップ種目別年間優勝、世界選手権優勝を果たし「No.1」の称号を手に入れる。残る五輪のタイトルを賭けて通算5回の出場ですべて入賞を果たすも、悲願を達成することは叶わなかった。3Dエア(コークスクリュー720)を最初に完成させ、カービングターンを武器とするなど、世界の女子モーグル界における技術の先駆者としても知られる。現在は、スキーフリースタイル普及のため、次世代の選手育成にも力を注ぐほか、JOCのオリンピック・ムーブメントアンバサダーとしても活動している。

BACK NUMBER

ページトップへ戻る