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新宿ゴールデン街の脇を「四季の路」

と名づけられた遊歩道が通っているけれど、ここはかつて都電の専用軌道だった。靖国通りの新宿区役所前の交差点の傍らから入ってくるこの筋は、ゴールデン街裏から右手にカーブを切って、やがて明治通りと交差する。いま、新宿6丁目の町名表示が掲げられているところだが、都電の時代は新田裏という田舎めいた名前の電停があった。

この都電が走っていたのは1970年(昭和45)の3月(26日)までで、僕が乗ったのはもう晩年の頃だったが、13(系統)の番号を付けて新宿駅前から人形町の水天宮前までいくこの線は、靖国通りから明治通りを左折して新田裏へ向かうルートになっていて、ゴールデン街裏の線路はほとんど使われていなかった。大久保車庫に出入りする回送車が時折走行するだけだった、と聞く。

この専用軌道が本線だったのは、国鉄(JR)駅に近い新宿通り側に電停があった戦後3年目くらいまでで、とくにこの13番の乗り場は妙な場所にあった。紀伊國屋書店手前の現在「モア5番街」の名が付いている横道。「山本コーヒー」なんて看板を出したコーヒー豆屋などのある割と地味な道だが、ここを出て、アドホックビルの横から靖国通りを突っ切って(もっとも靖国通りが整備されたのは昭和以降)、四季の路の筋へ入っていた。

都電に興味をもった小学5、6年生の頃、靖国通りの新宿駅前停留所にはまだ3線の都電が出入りしていた。月島へ行く11番、両国へ行く12番、そして件の13番。11と12の都電は明治通りの先のバイパスを右に曲がって、画材屋の世界堂の角のところから新宿通りを四谷の方へ東進して行く。

さて、僕が13番の都電に初めて乗ったのは、おそらくもう中学生になった時期だろう。1969年の春が中学入学だから、廃線の情報を鉄道誌などで知って、わざわざ乗車しに行ったのだと思う。1回乗ったきりだったかもしれないが、その記憶は鮮明だ。とくに明治通りの新田裏から右手の専用軌道へ入って行く時間。これがゴールデン街裏の軌道の続きで、ちょっと行った先に大久保車庫がある。現在は新宿文化センターが建っている場所だ。車庫を過ぎたあたりから上り勾配がきつくなって、やがて大久保通りと合流したところに東大久保の電停が置かれていた。

降車した東大久保のホームから見下ろした都電の線路が急な谷底へ下るトロッコか登山電車のような感じに見えたのだが、いま改めて行ってみると、文化センター通りと名づけられたその道の勾配はどうってことない。盛土などが施されて傾度が緩和された可能性はあるが、よくある〝記憶のデフォルメ〟かもしれない。

1970年代初めに撮られた映画(DVD)を観ていると、この都電の廃線跡を使ったロケーションがよく出てくる。新宿の場末のムードを表わすのに格好の場所だったのだろう。とくに印象的なシーンが登場する作品を2本紹介すると、まず和田アキ子が初主演した日活アクション「女番長野良猫ロック」。新宿で大々的なアクションが展開されるこの映画、藤竜也率いる暴走集団がバギーカーやバイクで、大久保車庫前あたりの線路を爆走するダイナミックな場面がある。

そして、ほぼ同じ頃に制作された日活(ダイニチ配給)の「盛り場流し唄 新宿の女」。ブレイク中の藤圭子のヒット曲をもとにしたホステスの物語。ギター流しの役で藤圭子本人も出演しているが、山本陽子と北林早苗のダブル主演作で、なんと山本が暮らすアパートが大久保車庫の隣りに設定されている。しかも、廃止直前か直後に撮られたのか、夜更けの車庫に並んだ都電(3000形や6000形)の前を山本が鼻唄を歌いながら歩く貴重なシーンがある。

いずみ・あさと

1956年東京生まれ。コラムニスト、作家。慶應義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表する一方、テレビにも出演しコメンテーター、司会等を務める。著書に『大東京23区散歩』『カラー版 東京いい道、しぶい道』、小説『還暦シェアハウス』『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』など多数。

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