No.57 INDEX

YR-MAG No.57

TR-MAG.

2019 AUTUMN

NO.57

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毎回、ゲストの方に
これまで歩いてきた道(人生)、
これから歩いてみたい道について
語っていただきます

上原浩治さん

巨人軍と米大リーグで21年間にわたって活躍し、日本人投手として初めて日米通算で トリプル100(100勝・100ホールド・100セーブ)を達成した上原浩治さん。現役引退後は、メディア出演をはじめ、様々な分野で活動されています。

僕は、今年5月に21年の野球選手生活にピリオドを打ちました。シーズン途中だったので、驚いた人も多かったかもしれませんが、僕にとってはあの時だったんです。

野球人生の中でいつが一番苦しかったか、と聞かれることがあります。今思うと、一番しんどかったのは、浪人していた頃ですね。高校の3年間は、野球漬けで、勉強を全くしてなかった。予備校では、一番低いクラスに入れてもらって、そこからずっと勉強の日々。勉強は好きではなかった。好きではないことをするのは辛いじゃないですか。でも、大学に受からないと先が見えない。だから受かりたいという気持ちだけで頑張りましたね。たまに息抜きにジムでウエイトトレーニングをしていたので、それが速い球を投げられることに繋がったのかもしれません。

大学1年の春の全国大会から試合で投げさせてもらうようになりました。その時の相手チームにドラフトの超目玉がいて、スカウトが見に来ていたんです。僕は全く無名だったのですが、そこでいいピッチングをしたんです。それで「あいつは誰だ」と、注目されるようになったんです。

その頃もまだプロ野球に行きたいとは思っていませんでした。大学3年生で全日本代表に選ばれた時に、1つ上に高橋由伸や川上憲伸がいました。彼らがプロに入っていきなり活躍し出したのを見て、自分もプロになろうと思うようになったんです。同世代の活躍は、すごく刺激になりました。プロになるからには、彼らに負けたくない。その気持ちは相手が誰であろうと同じです。アスリートなら誰もが持っていると思います。

プロになったからには、「メジャーで投げたい」という思いが強くありました。ただ、アメリカで2年目の時にちょっと怪我をして、当時の監督から「もう先発では使わない」とはっきりと言われて、自分の気持ちを切り替えることができました。プロに入ってからずっと先発で投げたいという思いはありました。でもそこで、まだ先発にこだわれば、多分、日本でいう二軍、マイナーに行かされていたと思うんです。僕はメジャーで投げたかったので、素直に受け入れることができたし、そのあとの野球人生にとっても良かったと思っています。

引退してまだ4カ月。正直なところ、先のことは今は白紙です。21年間ずっと走って来たので、ちょっと休んでから、これからの道について考えていきたい。人生には、こうした時間も大切なのだろうと思います。

アメリカでは、よく妻と二人で、家から車で15分ほどのところにある山に登っています。5つほどのコースをその日の気分で選び、1時間くらいかけてゆっくり歩きます。いい空気を吸いに行く散歩のような山登りですね。撮った写真をブログにあげたりするのは、良い気分転換になっています。

うえはら・こうじ

1975年4月3日生まれ。1998年、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。新人1年目に20勝4敗の好成績を残し、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上10人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成し、新人王と沢村賞を受賞する。2004年、アテネオリンピックで銅メダル。2009年、1月ボルティモアオリオールズと契約し、メジャーリーガーに。2011年、テキサスレンジャーズへ移籍し、アメリカンリーグ優勝に貢献。2018年3月、読売ジャイアンツと契約。2019年5月20日、現役引退。

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