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都電に興味をもったきっかけは“都電の廃止”だった。

というのも妙な言い方だけれど、昭和42年の12月の初めに40余りあった都電の路線のうちの9つの系統が廃止になった。このとき、銀座通りを走る都電が姿を消したこともあって、最後の花電車が走る様子などが大きく報道された。もともと電車やバスは好きな子どもだったが、ニュースや新聞記事を見て、よりいっそう関心が強まったのである。小学5年生の年だったが、以来、積極的に都電を眺めに行くようになった。

まずは、新宿の落合のわが家から一番近い都電のポイント、千登世橋。家のすぐ先の目白通りを2、3キロほど江戸川橋の方へ行くと、明治通りとの立体交差に橋が架かっている。正確には千登世橋の向こうの千登世小橋の下をいまの荒川線(東京さくらトラム)、当時の32系統の都電がくぐりぬけていた。

近頃は線路のすぐ横に明治通りのバイパスができて、ずいぶん景色は変わってしまったが、あの当時は雑司が谷の家並の間から黄色い都電がすーっと現れたり、消えていったりする感じがなんとも不思議だった。線路の東側は学習院下の停留所の方まで高い石垣の切り通しで、そちら側から電車に乗って千登世小橋をくぐるとき、橋というよりトンネルに入っていくような気分になった。

当時、この線を走っていた車両はだいたい6000形というタイプ(飛鳥山公園に展示されていたはずだ)か、ちょっと新しい7000形、8000形、といったところだったが、160形、170形という戦前の王子電車時代からのレアな小型車両がたまに走るとかいう情報を仕入れて、沿線の停留所で待ち構えていたこともあったが、結局出会うことはできなかった。

千登世小橋を王子側にくぐった最初の停留所が鬼子母神前。鬼子母神……子どもの頃は、鬼が出てきそうな怖い場所を想像したものだが、ここの境内にある上川口屋という駄菓子屋はなんと江戸時代中頃(1781年創業という)から続く大老舗で、ひと頃までは郷土民具の〝すすきみみずく〟が店先にいくつもぶら下がっていた。

鬼子母神は、けやき並木の参道も趣きがあって、よく映画やTVドラマのロケ地に使われる。僕がまず思いあたるのは、70年代の中頃に放送していた石立鉄男主演のコメディードラマ「水もれ甲介」。そのタイトルのとおり、すぐに〝水もれ〟を起こすドジな水道屋に石立が扮している。鬼子母神の境内や参道もよく出てくるが、しばしば都電が登場する。そして、まだ当時は規制がゆるかったのか、石立鉄男が線路上を堂々と歩いているようなシーンに出くわす。そう、彼らが暮らす家も線路端の実在の水道屋さんを使っていて、もうずいぶん前になるけれど、一度訪ねて行ってご主人からドラマロケ時代のお話を伺ったことがあった。このドラマ、DVDも出ているはずだが、貴重な都電映像資料にもなっている。

32系統時代の荒川線が登場する映画に寺山修司が監督した「書を捨てよ町へ出よう」というのがあった。71年の映画だから「水もれ甲介」よりちょっと前、こちらは早稲田の方に行った面影橋のあたりが登場する。

いまは新目白通りが都電のすぐ脇を通っているけれど、当時の面影橋は川際の工場地帯のなかの寂しい電停だった。この映画とほぼ同じ頃、僕はギターを買いに面影橋に行った。ちょうどフォークブーム真っ盛りの頃、雑誌に掲載された、組み立て式のフォークギターの囲み広告に〝面影橋電停そば〟なんて出ていたのだ。

面影橋というフォーク的な地名に魅かれたのも一つだが、探しあてたそこはギターを作る町工場のようなところで、「通販専門なんだよ」と工員さんに言われて、すごすごと帰ってきた。しかし、直販しないなら何故〝面影橋電停そば〟なんて掲示を出したのだろう。

いずみ・あさと

1956年東京生れ。コラムニスト、作家。慶応義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊TVガイド」「ビデオコレクション」の編集者を経てフリーに。東京や昭和、サブカルチャー、街歩き、バス旅などをテーマにしたエッセイを発表する一方、テレビにも出演しコメンテーター、司会等を務める。著書に『大東京23区散歩』『カラー版 東京いい道、しぶい道』、小説『還暦シェアハウス』など多数。

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