No.85
2026 AUTUMN

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「TR-mag」85号「TOKYO今昔物語」

変化し続けるまち、東京。毎回注目エリアをピックアップし、昔と今を定点観測的に比較。
「都市計画」の研究者・中島直人教授に、歴史や地形と紐づけて解説していただきます。

【上】昭和44(1969)年撮影。交差点から九段方面を望む。都電(路面電車)九段線が走っているが、翌年廃止された。第一銀行の奥に「神保町古書店街」のくぐり看板が見える。出典:千代田区広報広聴課

【下】電柱が並んでいた靖国通りは、無電柱化され、街路樹の緑が連なる通りへ。本文中に出てくる矢口書店は、左角の岩波神保町ビルから4番目の唯一背が低い建物。撮影/田中麻以

@ │ 「世界で最もクールな街」にも選ばれた神保町交差点

60年近く、変わらぬ面々に囲まれた神保町交差点

 都道・靖国通りと都道・白山通りが交差する神保町交差点。1969年の写真の左の角には1968年1月に竣工された岩波神保町ビルが見える。銀座の数寄屋橋交差点に面する革新的なソニービル(1966年竣工、2017年解体)を設計した建築家・芦原義信の同時期の意欲作で、10階にあった岩波ホールは神保町の文化拠点の一つとなった。右の角には、隅切りに間口を合わせて、「キムラヤ」の大きな看板を掲げた建物があるが、現在もこの建物は同じような看板を掲げて健在である。写真に写っていない残り二つの角にも、似たような2階建ての小さな建物が立っている。この神保町交差点は少なくとも60年近く、同じ角地建築の面々に囲まれ続けている。それには理由がある。

 白山通りは幅員40mで計画決定されているが、現状はそれよりも少し狭い。神保町交差点の隅切りは今よりももっと広がることになっている。実は「キムラヤ」の建物を含む三つの背の低い建物が立つ土地は将来の道路予定地であり、建築制限がかかっている。道路とする際に支障がないように、低層で簡易な構造の建物しか建てられない。従ってビル化は起きないし、建て替えの動機も生じない。一方で、岩波神保町ビルはすでに道路予定線まで下がって建てられていて、ビル前面に歩道と連続したまちかどのテラス空間を提供しているのである。なお、白山通りの将来幅員決定は戦災復興期の都市計画においてである。その時から将来はずっと先延ばしにされ、今に至っている。

 2枚の写真間で顕著な変化が見られるのは靖国通り沿いの街並みであろう。かつては背の低い小さな古書店が軒を連ねていた。靖国通りは関東大震災後の帝都復興事業で計画通りの幅員で完成しており、沿道に建築制限はなかったので、この60年間にほぼ全ての建物がビルに建て替わった。唯一残っているのは、矢口書店が入居するモルタル塗りの洋風の建物である。2枚とも靖国通りの先、高速道路の向こうに九段坂が見えているが、古い写真には何かが欠けている。そう、戦時中に除去されていた靖国神社の大鳥居が再建されるのは1974年のことである。

 ただ、神保町交差点の現在の姿も、もう見納めである。この号が出る頃には、岩波神保町ビルの解体工事が始まっているだろう。他の三つの角の道路拡幅は一体いつになるのか。拡幅される将来よりも、空が広くどこか懐かしい交差点風景が文化遺産として保全対象となる日の方が、近いかもしれない。

中島直人写真

PROFILE
中島直人
なかじま・なおと●1976年生まれ、東京都出身。東京大学大学院 工学系研究科都市工学専攻教授。専門は都市計画。主な著書に『アーバニスト』(共著、ちくま新書)、『都市計画家の100年』(東京大学出版会)などがある。

TR-mag vol.85

【表紙】
撮影/菊地泰久(vale.)
スタイリスト/徳永貴士
ヘア&メイク/時田ユースケ

【裏表紙】
撮影/前 康輔